今日の旅情報
これまでのルート
日本→中国→ベトナム→ラオス→タイ→ミャンマー→日本→ウズベキスタン→キルギス→カザフスタン→日本→イラン→UAE→イスラエル・パレスチナ→ヨルダン→エジプト→スーダン→エチオピア→ジブチ→ソマリランド→エチオピアⅡ→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→ブルンジ→タンザニア→モザンビーク→マラウイ→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ジンバブエⅡ→モザンビークⅡ→エスワティニ→南アフリカ→レソト→南アフリカⅡ
ロベン島
ケープタウン近くの沖合の島。
周りを激しい海流が流れ脱出困難なため、刑務所として使用されていた。
アパルトヘイト時代には主に政治犯が収容され、あのネルソン・マンデラもここに27年間収容されていたという。
1996年に刑務所は閉鎖され、今は博物館として公開されている。
アパルトヘイトの歴史を伝える、負の世界遺産としてユネスコに認定されている。
人類の暗い過去、ロベン島に封じられた人々
前日、ダーバンからケープタウンに到着し、アクティブ寿司を食べた記事はコチラ↓
2019.5.15
今日はロベン島に行く。
ロベン島へはケープタウンのウォーターフロントという港からフェリーで行けるのです。
個人で行くことはできなくて、「フェリーで行って、島でいろいろ解説してもらい、フェリーでまた帰ってくる」みたいなツアー形式になっていて、諸々込で350ランド(2,500円くらい)です。
まあ安いでしょう。
時間は1日2回(9:00~13:00/13:00~17:00)。
予約はネットでできるので昨日のうちに予約しておきました。
予約したときに翌日午後の枠がもう埋まっていたので、予約は早めのほうが良いかもしれません。
ということで、朝のコースを予約していたので、9:00に合わせてフェリーポートへいく。
数キロなので歩きます。
人通りは多いので、そこまで危険な感じはしない。
なぜか線路に船。
テーブルマウンテンは雲がかかっている。
基本朝は雲が出てるみたい。
フェリーが見えてきた。
フェリーポートの建物に入ろうと思ったら、正面玄関じゃない非常口?みたいなところに出てしまった。
鍵もかかっている、けど中に人がいたので開けてもらおうとしたら堂々とワイロを要求された…。
「正面玄関は遠い。お前には選ぶ権利があるぜ!」だって。
ふざけんな。時間も余裕がなかったが急いで正面玄関に向った。
フェリーポートからロベン島へ!
こちら。
中は簡単な博物館みたいになっていて、刑務所やネルソン・マンデラに関する展示がありました。
もうチェックイン時間が始まっていて、ゆっくり見る余裕はなかったので船に向かう。
フェリー。
けっこう曇ってる…けど雨は降らなそうだ。
すぐにフェリーは出発。
1時間ほどかけてロベン島に向かう。
ちなみにフェリーはけっこう揺れます!
さすが脱出困難な刑務所を守ってるだけあって、なかなか。
だけどトーフの荒波に比べたら屁でもなかった。
そう言えば、西洋人として最初に喜望峰を通ってインドへ抜ける海路を発見した人も、ここあたりで嵐にあって遭難したらしい。
だから喜望峰は最初「嵐の岬」って呼ばれていたんだとか。
途中でみたケープタウン。
左側の山が「ライオンヘッド」って呼ばれてるやつで、右側が多分「シグナル山(Signal mountain)」だと思う。
シグナル山からテーブルマウンテンを見るのが、けっこういい眺めらしい。
ぶっちゃけテーブルマウンテン自体に登ってしまうよりは、シグナル山のほうが良いって宿にいた人が言ってました。
まあエッフェル塔みたいなもんで、それ自体に登っちゃったら見えないもんなあ。
ロベン島に到着!監獄ツアーに参加!!
島に到着。
大量のかもめ。
フェリーから降りたら、順番にバスに乗り込みます。
ここまでは完全に流れ作業。
このあと学校や教会、石灰石発掘場などをバスで案内してもらいながら、刑務所に向って進む。
途中で見た海とケープタウン。
1時間ほど島の中をバスで散策したあと、刑務所に到着。
ここからはバスを降りて刑務所を見て回れる。
ネルソン・マンデラの独房はそのままに…
たくさん並んだ独房の窓。
この左から4番目にネルソン・マンデラがいたらしい。
こちらがマンデラの独房。
こんなところに27年間もいたのか…。
布団も引きっぱなしでやたら生活感がある。
彼は獄中にいた間に、通信大学を使って弁護士資格をとっている。
またここで語学なども身に着け、学ぶことをやめなかったという。
また後年彼は、自分の感情のコントロールの仕方や忍耐強さはここで身につけたと語っていたという。
大部屋に集められ、元囚人の方がいろいろ当時のことを解説してくれた。
その後は刑務所をざっと一通り散策する。
独房一つずつに、当時収容されていた囚人の名前や顔写真などが掲載されていて生々しかった。
当然彼らの中にはここで死んでしまった人もいる。
ここで死んでしまい、遺体の引き取り手が見つからない人のリストなんかも貼ってあった。
彼らのほとんどは政治犯。「白人に逆らった黒人たち」だった。
おそらく刑務所を1周して出口。
敷地を覆うフェンスは2重になっている。厳重だ。
それでも逃走を試みた人は何人もいたらしい。
しかし完全に逃げ切った者はいなかったという。
ここからは歩いてフェリーポートまで帰る。
と言っても気付いたらフェリーポートのすぐ近くだった。
どうやら行きのバスでは、だいぶ遠回りして刑務所に向ったらしい。
道にあった兵器?
ウェルカムって書いてあるけど、これは刑務所が閉鎖されてから書かれたよね?
そうじゃなかったら嫌味が過ぎるが。
フェリーで再び本島へ!ウォーターフロントのショッピングモール「V&A ウォーターフロント」
フェリーでウォーターフロントに帰る。
帰りは揺れが本当にひどかった。
下手すりゃゲロっちゃう人が出るくらいだと思う。
なんとか陸に着くまで耐える。
フェリーポートに到着..。
朝は気づかなかったけど、こいつらってアシカだよね?
アザラシとアシカ、オットセイとかって似ていてよくわからないな…。
見分け方のサイトとかあったけど、寝てるとよくわからん…。
多分アシカと断定。
さて、今日はこれから「キャンプス・ベイ」というビーチに行こうと思っていたけど、ちょっと疲れてしまった。
予定変更。
ウォーターフロントで少し買い物でもして、宿に帰ろう。
ウォーターフロントは、大きいショッピングモールや店がいっぱい集まったところなのだ。
ちっちゃいショッピングモール。
さすがアフリカ。タンザナイトの専門店があった。
タンザナイトはタンザニアでしかとれない高級ジュエリーです。
テーブルマウンテンがよーく見える。
銀行のビルが邪魔だけど!
港から。
テーブルマウンテンがよく見える。
観覧車もある。
テーブルマウンテンと観覧車。
最大(おそらく)のショッピングモール、「V&A ウォーターフロント」。
「極度乾燥(しなさい)」
なんだこれ。
調べたらイギリスのファンションブランドらしいですね。
しかもけっこう有名なんだとか。知らなかったけど。
日本語を使っているのは、日本に影響を受けたブランドだかららしい。
間違った日本語を使っている理由は、創業者が日本に住んでいたときに、日本のTシャツとかに書いてある「間違った英語」に衝撃を受けたからなんだとか。
いやまあ言いたいことはわかるけども、この話はどう捉えるべきなのか…。
ウォーターフロントではモバイルバッテリーを購入!
ダーバンですられたやつの代わりです!
10,000mAで2,000円くらい!品質が心配だ…!
前スーダンで買ったやつは、中身スカスカだったからなあ。
南アフリカで荷物を受取る!やっぱりAmazonってすごい!!
宿に着いたら、アマゾンから荷物が届いていた!
昨日DHLで手続きしてたやつです!
てか、昨日は日本にあるって言ってたのに…早すぎない?
まあその情報も疑わしいんだけど。
ちなみにこれを注文したのは5/10。
そのときには到着予定日は15~17日になっていました。
DHLの手続きで少し止まってたから遅くなるかもなーと思ってたけど、全然そんなことなかった!
やっぱりアマゾン凄すぎるな…。
GPSロガーも来たから、これで心置きなく最南端にいけます!
せっかくなのでログ残したかったから、超助かりました!
ということで明日はとうとう最南端に行ってきます!
これでアフリカの旅も完了です!
翌日の記事はコチラ↓
コメント