◆ルート
日本→中国→ベトナム→ラオス→タイ→ミャンマー→日本→ウズベキスタン
◆6ヶ国目【ウズベキスタン】
首都:タシュケント
為替:1スム=0.014円
旧ソの国。長らく独裁政権が続いており、経済的に閉ざされた国だったが、2年前に前大統領が死去。その後政権交代により、急速に開かれた国になりつつある。
状況が数年前のミャンマーに似ている。
ミャンマー同様、地価や不動産価格が高騰しつつある。
◆2018.10.23~11.6
ウズベキスタンでの観光を軽くまとめときます。
一応ルート的には、
タシュケント→サマルカンド→ブハラ→タシュケント→コーカンド→リシタン→キルギスへ…。というような感じでした。
タシュケントは正直あまり見るところがなく…。
現地に滞在している人にも会ったりしたけど、「つまらんから早くサマルカンド行きなよ!」って言われました。
町並みがすごく画一的で、「ザ・ロシア」な感じらしいです。
ロシア行ったことないけど、なんとなくわかりました。
タシュケントの繁華街です。
確かに平日昼間だけど、ちょっとさみしすぎる。
そんな中でも、タシュケントではメトロの駅の綺麗さが目を引きます。
こんな感じだったり、
こんな感じだったりして、
駅ごとデザインが違うんで、楽しめるかと。
「全駅制覇したよ!」って言ってる日本人にも会いましたし。
タシュケントといえばあとはこれですかね。
ドーム…ではなくチョルスー・バザールというバザールです。
超巨大なドームの中と、ドームの周りに所狭しと店が並んでます。
目につくのは乳製品関係とスパイス系ですかねー。
寄っていくと大体味見させてくれます。
はちみつとかもいろんな種類が売っていて、いっぱい食べました。
コットン(綿花)のはちみつとか、砂漠(に咲いている花)のはちみつとか。
タシュケントにもそこそこキレイなモスクはありますが、少しインパクト不足です。
モスクの中には、神学校として利用されていたものもあり、小さな教室がいっぱい会ったりします。
現在は工芸品を作る職人の工房として利用されているところもありました。
日本人抑留者の記念碑です。
シベリア抑留により連れて行かれた日本人の何割かは、ここウズベキスタンでインフラ整備の仕事をしていたらしいです。
その時の日本人の働きぶりが誠実で、前大統領(独裁政権の、最近死んじゃった人)が感銘を受けたらしいです。
また、現地の人も日本人には優しく、労働中にウズベキスタンで死んでしまった日本人の割合は、他の国に出向いた人たちよりも驚くほど低かったようです。
タシュケントだけでなく、他の都市にも日本人墓地があったりします。
ここらへんの歴史的背景もあり、ウズベキスタンは中央アジア一の親日国と言われているそうです。
近くには日本庭園もありましたが、誰もおらず。
ちなみにこの近くには、「日本センター」なる施設もありました。
日本の援助で作られた施設らしく、子供から大人まで意思を持った人が格安で日本語を学べるところみたいです。
見学自由なのでちょっとお邪魔しましたが、中学生くらいの子がペラッペラに日本語話してたりして、びっくりしました。
あとは日本からきたJICA職員もいたりして、時間を忘れてダラダラ喋ってました。
ここ、もしかしたらタシュケントで一番おもしろい場所かも知れないです。
ちなみに日本センターはブハラやサマルカンドなど、他の大都市にもあったります。
電車でサマルカンドまで。
車窓から見える景色はほぼ綿花の畑一色でした。
これは旧ソ連時代に綿花の生産を押し付けられた名残りみたいです。
が、綿花を収穫するときに子供に手伝わせるのが児童労働として問題になり、近年はいろんな企業から不買運動されてるらしいです。
ロシア正教会。始めてみたかも。
名前は忘れましたが、ティムール朝を建てたティムール一族が眠るお墓です。
こちらが中。
ご存知レギスタン広場(昼Ver)。
入り口。
中。
レギスタン広場の建物の中庭には小さな部屋がいっぱいあり、職人工房兼お土産物屋になっています。
こちらが夜Ver。
8:30くらいからはプロジェクションマッピングも始まります。
◆ブハラ
この辺に来るとモスクにも少し飽きている。
古城みたいです。
ウズベキスタンでお土産を買うならブハラが一番良いと思います。
こんな感じの屋根がついた通りに、色々なお土産屋が密集してます。
金属細工の皿(観賞用)とか、
コウノトリ型のハサミを含む刃物系がいっぱいあります。
◆リシタン
リシタンには日本人学校があったのでそこにお邪魔しました。
ここの日本人学校は完全ボランティアの学校らしく、小学生~高校生くらいの子供が無料で日本語を学んでいました。
ただ学んでいると言っても、先生がいるわけじゃないんです。
ある程度できる子が、できない子を教えたりとか、そんな感じでいつも勉強してるみたいです。
学校っていうより児童館ってイメージかな?
自然に子供が集まってきて、なんとなくみんなで遊びながら日本語を勉強しているみたいな。
日本人が行ったら、先生役をするというルール(知らなかったが)らしく、何回か教えたりしました。
何をしようか迷いましたが、フィリピンの語学学校でやってたことの真似をしたらそれなりに形になりました。(多分)
教室はこんなかんじ。
立って写ってるのは、一緒の期間に滞在してた日本人の大学生です。
日本語学校の校長先生の紹介で、先生の知人の結婚式にお邪魔させてもらいました。
2,3時間だけ居たんですが、ゲストの挨拶みたいなのをずっとやってました。
数人ずつゲストが前に出てきて挨拶→真ん中で踊る→踊ってる人の知り合いがおもむろに寄っていって、踊っている人にお金を渡す→ゲストは踊り終わったら、集めたお金を運営スタッフに渡し、席に戻る…
みたいなのを永遠にやってました。
何故か僕ら(他にも日本人が一緒に来てた)も挨拶して踊る羽目に。
誰もお金くれないかなーと思ってたら、たまたま一緒のテーブルだった人が出てきてくれました。
(ちなみに日本と違い、席は来た順で適当です。)
その方たちとは、ずーっと一緒にウォッカの飲み合いしてました。
てか、女性がお酒強すぎてビビります。
ロシア系の血も入ってるからですかねえ。さすがです。
別の日にはアンディジャンという、リシタンの隣町に連れて行ってもらいました。
ここはシルクが有名で、絹から絹から絨毯や布を作る様子を見せてもらいました。
ウズベキスタンはこんな感じでした。
このあとはキルギスに続きます。
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